LOGIN「何が当然だっ!」
「……兄上」
「ふんっ! 誇り高い竜族のくせに兎族が番などという軟弱者がっ! まあ、人族よりは大分マシではあるがな」
吐き捨てるような兄の言葉は竜族の本音なのだろうとサラリアは思った――――それと同時に。
(この兄、本当に必要以上に情報を漏らすわ)
サラリアは内心呆れたが、顔に出せばまたオーレリウスが殴られるかもしれないと思い無表情を保つ。
視線だけ動かしてオーレリウスを見ると仕方がない人だと言っているようで、意外にも兄弟仲はいいらしいとサラリアは判断した。
「人族なんかが竜王陛下の番とはおかしいと思っていたのだ。どんな奇術を用いたのか分からないが、そんなことはどうでもいい!」
兄の顔が恍惚とした喜色に満ちる。
「あのシーラ様が竜王陛下の本当の番様だったのだから。元より仲睦まじいお二人のこと、すぐに王竜様がお目見えするに違いない」
「……王竜?」
サラリ
「彼女の目に映る者も、彼女の声を耳にする者も、彼女に触れる者も、自分だけでなければ許せない」オーレリウスの声は穏やかだったが、内容は竜人らしい苛烈なものだった。「あとは、屋敷の奥の奥の、誰の目にも触れない場所に隠しておきたい宝物」オーレリウスは微笑む。「いっそのことパクリと一飲みにして、自分の体の一部にしてしまいたいですね」ラーシュは思わず苦笑した。「それが愛かどうかは分からんが、番に対する正常な感覚だな」「そうですね」オーレリウスも苦笑する。「番が愛そのものなのですから、番に対する感覚が愛としか言いようがありませんね」オーレリウスは肩を竦める。「食べてしまいたいのも本音です。食べて、私の血肉にしてしまえば誰にも奪われることもないし、誰にも触れられることはないですから」「それならばなぜ食ってしまわない」「彼女の全てが愛おしいからですよ。表情、声、そして匂い。全てを愛しているから、食べてしまうのは勿体なくてできないのです」できるかどうかではなく、勿体ないから食べない。人族のサラリアが聞けば悲鳴を上げそうな会話だった。「だからこそ」オーレリウスは続ける。「自分以外の男が彼女の目に映ることも、彼女の声を耳にすることも、彼女に触れることも我慢している陛下は、本当にサラリア様を愛しているのだと分かります」ラーシュは黙った。「荒れ狂う独占欲を」「……」「耐え難い苦痛を」「……」「サラリア様をこれ以上傷つけたくないという一心で耐えていらっしゃるのですから」それは事実だった。会いたい。抱き締めたい。傍に置きたい。全て本音だ。だが、それはもうラーシュの我侭でしかない。ラーシュが姿を見せるようなことがあれば、サラリアは身を売ると言った。
【ラーシュ視点】オーレリウスの報告を聞きながらこれまでを思い出していたラーシュだったが、苦い後悔の余韻に浸ることはできなかった。「陛下の後悔はさておき、いまはトール様の発現のほうが問題です」王に向ける言葉としては率直だった。だがラーシュは不快に思わない。むしろありがたかった。オーレリウスは必要なときに必要なことを言う。遠慮もしないし、忖度もしない。王であるラーシュに対してこれができる者はとても少ない。サリンドラ公爵家の事件以降、多くの者がラーシュに対して遠慮がちになった。ラーシュの粛清を恐れていたからだ。公爵家の家宅捜索の結果、多くの者が粛清された。表向きは潔白だった者も、徹底的な捜査によってサリンドラ公爵家の協力者だと分かり、城を追われた。一時は城に勤める者の数が事件前の三分の二になった。最も変化があったのはサリンドラ公爵がトップにいた宰相府だ。部署内は空席だらけになり、逃亡を恐れて即時逮捕だったため引き継ぎもできていなかった。宰相府を中心とした城内の混乱は、事件から四年たった今でも完全には建て直せていない。サリンドラ公爵の後任を、ラーシュは人望のあるウィンドスケイル公爵に打診した。建国三傑の血を引く名門。温厚な人格。そして貴族たちからの信頼も厚い。騎士団長である彼にとっては畑違いだと理解していたが、一時的な采配であり、混乱期を乗り切るには最適な人材だと思った。だが公爵は断った。「それにはオーレリウスが適任でしょう」彼の推薦は、そのまま次男であるオーレリウスの後ろ盾となった。それから四年間、オーレリウスはラーシュを支え続けてくれた。.オーレリウスは気が利き、頭の回転が速い。文官気質であり武芸は好まないと言いながらも、実家が武家だという理由だけで鍛錬を続けてきたオーレリウスは努力型で面倒から逃げない。そしてなにより、先入観を持たずに何ごとにも公平だ。特にサラリアに関しては、彼の公平さは顕著だった。「トール様が発現なさったとき、一番危険なのはトール様のお傍にいらっしゃるサラリア様です。頑丈な竜族ならまだしも、あの方は人族です」ドラコニア中が王竜であるトールに熱狂している中、オーレリウスだけはサラリアを気遣う。必要以上に気をかけているわけではない。ただ、多くの竜族はサラリアを見ていない。見ているのは
使用人すらラーシュの傍にいることをシーリアが許さなかったので、ラーシュの周りには友人どころか誰もいなかった。使用人はいるから一人ではないが、情を抱かせないため短期間で代わる使用人たち。ラーシュが誰かに情を抱かないように。ラーシュが誰かを信頼しないように。ラーシュは孤独だった。だからだろう。シーリアが一人の少女、シーラを連れてきたときのことをラーシュは今でも覚えている。初めてシーラを見たとき、ラーシュは「似ている」と思った。シーラはシーリアに似ていた。名前も。容姿も。雰囲気も。何より笑い方が似ていた。当時は偶然だと思った。シーラはシーリアの双子の妹の孫娘で、二人は血が近い。だから容姿が似ていることは、あり得ることだとラーシュは思っていた。だが違った。調査によって全てが判明した。シーリアは自分と近い者を選んだ。意図的に。血と容姿が近い者。そしてシーラが選ばれた。ラーシュにフォーデンになることを求めたように、シーリアはシーラに「シーリア」になることを求めた。模擬恋愛。そう呼ぶのが最も近い。フォーデン役のラーシュ。シーリア役のシーラ。二人が愛し合う姿を見て満足する――そんな狂った劇をシーリアは望んだ。シーリアはシーラをラーシュの婚約者にしようとしていたが、それは叶わなかった。議会が反対したからだ。シーリアが望むことは大抵実現していた。幼い竜王の後見である彼女の意向を議会は無視できなかったが、婚約だけは進まなかった。反対意見が多かった。貴族たちはサリンドラ公爵家に権力が集中し過ぎることを危惧していた。だからウィンドスケイル公爵家を旗印にして、均衡を保つようにラーシュとシーラの結婚は反対された。その表向きの理由と
愛してくれるフォーデンを作る。ラーシュは初めてその資料を読んだとき、本気で理解できなかった。何を言っているのか分からなかったが、資料となった日記は残酷なほど詳細だった。シーリアはフォーデンの子を身ごもった後、毎日少しずつ彼に毒を盛った。少量ずつ。少量ずつ。気づかれないように。愛しているのにというわずかな躊躇と、愛しているからという歪んだ正義感をそのまま反映したように時間をかけてシーリアはフォーデンを弱らせた。病気に見せかけるためにゆっくりと殺した。毒を用意したのはシーリアの父であるスネルク。そしてシーリアは口止めとして父親に宰相の地位を、幼い息子フォーラに代わって政権を握る権利を与えた。(息子、ね)シーリアにとってフォーラは息子ではなかった。その事実にラーシュは寒気を覚える。シーリアにとってフォーラは代用品だった。自分を愛してくれるフォーデンの代わり。自分が「愛している」と言えば「私も愛している」と返してくれる“正しい”フォーデン。そのためにフォーラを作った。でもシーリアは満足できなかった。一つは瞳の色。フォーデンの金色ではなく、フォーラの瞳は自分の紫色を受け継いだ。そして、もう一つは身体。フォーデンは屈強な武人だったが、フォーラは病弱だった。(自分の色があるのは子どもならあり得ることだし、その病弱さのおかげで王竜ではないことを誤魔化したというのに)似ていない。違う。だからシーリアは作り直すことにした。今度こそ理想のフォーデンを。今度こそ失敗しないように。母体となる令嬢を慎重に選んで、シーリアはフォーラに娶らせた。そして生まれたのがラーシュだった。フォーラはラーシュが生まれて間もなく死んだ。ラーシュの母も、ラーシュを産んですぐ死んでいる。証拠
なぜフォーデンがシーリアを愛さなかったのか。その理由がラーシュには分かる。痛いほど分かる。匂いで誤魔化されても本能までは騙すことができない―――それがあの薬の欠点。体験したからラーシュには分かる。シーラからサラリアの匂いがしたから嗅覚は番だと訴えた。だが、それだけだった。サラリアに感じる感覚はない。胸の奥を焼くような焦燥。触れたいという衝動。抱き締めたいという渇望。喉が乾いて仕方がないような飢餓感。傍にいても満たされず、離れれば狂いそうになる欲求不満。サラリアに対しては当たり前のように湧き上がるそれが、シーラに対しては一度たりとも生まれなかった。理屈はシーラを番だと叫ぶ。愛せ。守れ。求めろ、と。だが本能は沈黙する。何も感じない。だからラーシュは求められてもシーラを抱かなかった。沈黙する本能を無視できなかった。これと同じものをフォーデンも感じていたはずだった。それでも彼は妻と迎えたシーリアを「番なのだから」という理屈で愛そうとした。愛さなければいけないと。鳥族に騙された竜王というレッテルが、その思いに拍車をかけたのだろう。(でも、愛は理屈ではない)フォーデンはビンガのようにシーリアを愛することはできなかった。それが愛する振りだったのか、違う愛し方だったのかはラーシュには分からない。でも同じような愛し方をできなかった。ビンガのように愛されない―――それがシーリアの違和感となった。フォーデンの愛し方を知っていたシーリアは、その違いに狂っていった。見つめ方が違う。笑い方が違う。ビンガが泣けば慌てたのに、自分が泣いてもハンカチを差し出すだけ。ビンガが少しでも体調を崩せば政務を放り出したのに、自分が倒れても侍従を寄越すだけ
最初の頃は執拗な拷問が行われた。連日のように番と偽ることができた理由を問い質した。シーラになるのは公爵令嬢としてのプライドだけで、蝶よ花よと育てられた彼女には痛みに対する耐性などなくシーラは次々と白状した。サリンドラ公爵を捕らえ、公爵家に調査の手を入れるのに十分な証言がとれるとラーシュはここに通わなくなった。シーラから香るサラリアの匂いが不快だったし、シーラに対しての興味もなくなっていた。ラーシュの中にシーラに対する復讐心がなかったとは言わない。だが『ざまあみろ』と言って消えたサラリアを思い出すたび、自分の復讐はただの八つ当たりだと思うようになった。シーラから始まった今回の事件は調査を始めてみれば開国の時代まで遡ることになった。その間に出てくるサリンドラ公爵家の謀略の数々。数が多すぎて、四年の歳月がたってもまだ調査は完全には終わっていない。(正直うんざりしているが、陣頭指揮を任されているオーレリウスはもっとうんざりしているだろうな)そこにきてトールに発現の兆しが現れた。オーレリウスはこれ幸いと『新たな王竜の時代』と打ち立て、新時代に相応しくないサリンドラ公爵家の過去の罪の解明は歴史家に丸投げすることにした。そしてサリンドラ公爵とシーラは共に翼を落として地上に追放することが決まった。この最高刑といえる罰に、現在分かっている分の罪で十分理由になった。但し、すぐではない。地上にはまだサラリアとトールがいる。二人には警護をつけているが、地上に落とされたシーラと公爵が絶対に危害を与えられないという保証はない。サラリアが害される。想像だけでラーシュの中を怒りが駆け巡る。実際には生きているし、竜族の中でも腕に自信のある強者がサラリアたちを守っている。でも理屈ではない。想像だけで、怒りで理性が焼けそうになる。(想像だけでこれなのだから)本当に番を殺されたフォーデンはどうだったのだろう。もし真実を知ったなら。薬のこと。シーリアの嘘。ビンガの死。それを知って、正気でいられただろうか。(無理だな)どれほど怒り狂うか、ラーシュの想像が追い付かない。世界を滅ぼしても飽き足らなかっただろう。いっそ狂ってしまったほうが幸せなほどの苦しみ。(先々代は、知らなくてよかったのだろう)真実を知らずに死ねたことは幸せだとラーシュは思う
いいことばかりではなく問題もあった。 小さな町に突然現れた若い女、しかも妊婦―――人々が興味を持たないはずがない。 親切な人もいたし助けてくれる人もいたが、同じくらい下心を向けてくる男たちもいた。 「夫はいないのか」 「一人じゃ寂しいだろ?」 そう言いながら距離を詰めてくる男たちにサラリアはうんざりしていた。 妊婦であることは男たちにとって障害にならなかった。 むしろ夫の姿がないことで「軽い女」だと決めつけ、一時の関係を楽しもうと誘われることも多かった。
「リアちゃーん、いるー?」 店の奥へ届いた明るい声に、サラリアは本棚へ収めようとしていた数冊の本を脚立の上へ慌てて置いた。 木造りの店内へ柔らかな午後の日差しが差し込んでいる。 床板の古びたにおいに混じるのは紙と料理の匂い。窓際には誰かが読み終えた本が伏せて置かれていて、ゆったりとした時間が流れていた。 「はーい!」 急いでカウンターへ向かうとサラリアに背負われていたトールがきゃはっと楽しそうな声をあげた。 揺れるのが面白いらしく、小さな手がサラリアの肩をぺちぺち叩いた。
オーレリウスはそっとサラリアを支えながら静かに言った。「王竜の炎……」「……え?」「やはり竜王陛下の番はサラリア様だったのですね」オーレリウスの言葉に広間の空気が凍りついた。サラリアも驚き、見開いた目で周りを見る。周囲の竜族たちはまるで世界がひっくり返ったみたいな顔をしていた。玉座を見る。シーラは青ざめ、ラーシュは信じられないものを見る目でサラリアを見ている。その視線がサラリアにはたまらなく
「ラーシュ、この女は私を傷つけたのよ」「シーラ……その件は説明したはずだ」「納得できない。だって……あなたはまた彼女を……」「シーラ、それならこの罰でいいはずだ。もう二度と俺が彼女と会うことはない」ラーシュの低い声が静まり返った謁見の間へ響いた。それは確認の形をとっているが決定を告げる声音だった。「でも……」不満げにシーラが唇を尖らせて、甘えるような声を出した。